昨日「蒸し暑い」と書いたら
今日は「肌寒い」じゃないですか・・・
急な気温の変化に体調崩さぬようご注意を!
くだかけの和田先生のブログに
「山尾三省を読んだ方がいい」というコトが書かれていて
もちろん山尾三省は知っていたけど
詩も文章もしっかり読んだことがなかったので
図書館で借りて読んでいます
まだ読み始めですが
すごく心にすとんと落ちてくる文章がたくさんあり
ちょっと書いてみようと思います
「故郷性、という哲学上の概念、あるいは詩の言葉をより一般化するために
この頃、自然生活、という言葉を大切にしている。
自然生活とは、自然を主とし人間を従とする生活のことである。
この、人間を主とする科学文明を、進歩した文明として
当然のことのように受け入れている人には
人間が従となるような文明の型など思いもよらぬことであるかも知れない。
だが、自然を主とする新しい生活は、これからやってくる文明の型
これから求めてゆく文明の型として、あるいは
今を反省してゆく文明の型として、唯一無二のものであろうと
僕は信じている。
自然、地球、そして宇宙が主であり、
そこに人間が智慧として従として生活することを
自然生活と呼び調和と呼ぶ。
調和とは境目のない深い平和であり、人間的な苦しみであり
生き方であり死に方である。
自然生活は、アフリカやインドやインカ文明にあるのみでなく
僕達の歩いている足元に、これまでとは異なる進歩の確信として
平和と実りとして展かれている。」
回帰する月々の記(1990) より
20数年前に書かれたものが、今のまさに
この時に生きている私たちに今さらながら警鐘となっている
パソコンに向かって日々仕事をしていると
自然生活はもとより自然そのものが
自分のまわりにあることを忘れてしまうことすらある
だから時々海に行って潮風に吹かれて
思い出さなければいけない
自然の中に生かされているんだっていうこと
そうでなければ本当に私は
おぞましい物体になってしまう様な気がする・・・
パソコンを離れてただ絵を描いてものを作っていたい・・・
山尾三省さんの文章は
浮き足立っている者を
どこか深いところへ着地させてくれるような
そんなどっしりした安心感がある
これは真に自然生活を営んでいる「人間」の言葉だからだろうな
もうひとつ、
ちょっと目がぱっちりと開くような文章
人は滝を眺めるとなぜ気持ちが良いのか、と
滝とは人にとって何なのだろうか、と
考え続けてきたと言う三省さんが
ある日その答えを見つける
「不意にその答えがやってきた。
やってくると、その答えは簡単明瞭なものであった。
滝が気持ちよいのは、それが真直ぐに落ちるからであった。
人は、落ちまい落ちまいとして、終生の努力を続けなければならない。
しかしながら滝は、ただ落ちるのである。
その落ちる先は、むろん滝壺。どこにでもある仏の掌。
それが人にとっての滝の意味であったのだ。」
今度はちゃんと本を買いましょう
詩集も買いましょう
写真は実家のそばの神社の御神木(私にとっての)
木の種類は、わかりません・・・
「