2014.02.28 Friday
おとしまえをつける
今日はこんな素朴な子が生まれました!
そしてコンサーテーィナの出ない音があるので
明日楽器屋さんに持って行くためにコンサーティーナを出して
こんな曲を練習♬
アイルランド民謡のBelieve me
静かで切なくて美しいメロディです
ぱぎるクッキーを焼いたかと思えば粘土を焼き
勉強したかと思えば音楽の練習をし
そうかと思えば絵を描いて植木の手入れも気になる...
はたまた大工仕事をして一日が終わる日もあり
このブログを読んでいる人は
なんでこんなにバラバラなことにいろいろ手を出すの?
と不思議がっているかもしれませんね...
世の中、ひとつのことに一心に取り組んでいる人もいる
というか何か事を成し遂げるには
そうでなくてはならない...と思われているかも
それは確かにその通りで
私も一心不乱に脇目も振らず絵を描いていられたらなぁーと思う
でも、なんだか私のやり方はそうじゃないんだ、って
やっといい大人になってから気づいちゃったのね!
単に欲張りだっていうことも言えるかもしれないけど
それは、表現するとしたら
いろいろな色や形の枝を出して行って
幹を太く太くする...そんな感じでしょうか
そこに付く葉や花もお決まりのものじゃなくていい
枝ごとに違っていたっていい
人から「変なのー」って言われたって いい
脈絡なくバラバラなようでいて
それはいつの間にかひとつの幹を太くするための
栄養になっている
と思う
やっている本人は
老眼で文献読むのも粘土削るのも一苦労だっていうのに...
今日は慶應通信からの月一回の冊子「三色旗」が届き
その中の、一昨年の夜間スクーリングでお世話になった
社会学のW先生の退職のメッセージがあった
W先生は、自分を苦しめているものや悩ませているものは何か
そのものと社会学的に折り合い、おとしまえをつける、
そのものの謎を解きたい
そういう問題意識を持って臨むことが大切だと書いている
それは通信で学ぶこと全体に言えることじゃないかな
私の問題点はなんだろう...とふと思う
民族の表現について勉強したい
それが自分自身の表現の根拠になると思って始めたことだけれど
もっと根本的な問題点が
根深い問題が私の中にあるような気がする
見ないフリをしてやりすごそうとしているものが...
それとまさしく折り合い、おとしまえをつけたいがために
やっているんじゃなかろうか、と...
老眼でも、目が見えてる間は
暗中模索しなさいって、ことです ね
明日から3月...